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ちゃんと大人になれない大人たち

2017年になったらしい。僕の脳みそや心は、未だに2016年の12月31日にさらに月日を加算していくだけで精いっぱいだ。しまったな、年越し損ねた。

 

20歳になった。ハタチってやつ。日本でいうところの「大人」ってやつだ。ちゃんちゃらおかしい。形だけは一日で子供から大人になれた。

 

 

20歳になって何かが変わるのか、何か分かるのか、何かに気づくのか、とかいろいろ考えた。結局のところ普通の24時間が通り過ぎていっただけだから何も変わらないのだと思う。僕のまだ終わらない人生。先に人生を終わらせていった人々。

 

ここで生きているんだけど、これって間違ってんのかなぁ。どうでもいいことがどうでもよくなくなる。どうでもいいって何。今すごい心で感じる事と頭で考えている事と指が打ち込む文章が一致しない。困ったな。

海の広さと同じくらいの話 (第一章)

忘れたい事、忘れちゃいけない事、償わなきゃならない罪、逃れたいという欲、そういう感覚って決して言葉に表せないものだと思う。どうしたって例え話になる。

 

 

突然だけど、君は誰かを殺したことがある?

例えば友達とか大事な人とか。もしくはどうでもいい人とか。

 

 

1500文字近くある序章を書いた僕が、本当に伝えたいことはこのたった2行だ。

 

若さって残酷だ。青春って残酷だ。未熟な僕らが駆け抜けたこの約20年という月日。後々の人生を決める大切な自分の形成期だよね。そんな大事な期間を僕らはこんなに未熟で脳みそのしわもほとんど無いまま通り過ぎる。

漫画『僕らはみんな河合荘』にも話として出てきたが、小学生の頃の女の子って変に"ませている"と思う。例えば、人の恋心を勝手に応援するとか言って、やらなくてもいいことまでやろうとするところとか。「○○ちゃんならいけると思う!」みたいなさ。余計なお世話ってやつね。良かれと思ってやるんだけど、ああいう小学生の残酷さって本当に怖い。小学生の時ってさ、大事な時期なんだよ。これから待ち受ける学校生活という集団行動に身体や心を適応させなくちゃならない、そのための訓練期間なんだよね。つまりさ、小学生時代をうまく過ごせなかったやつはいずれ死ぬ、ということだ。

 

僕はそんな小学生時代をうまく過ごせなかったやつの内の1人だろうか。自分の中ではうまく生きたと思っているんだよ。いじめられたことも無かったつもりだったし、そもそも鈍感だからいじめられたことにも気づいていないかもしれないけれど。そうやってなんとかうまくやり過ごしたなって思っていたんだよ、去年のある日まで。

 

 

去年のある日。いつもと変わらぬ日。思い出せるよ。ちゃんと手帳に赤ペンで書きこんでいるんだから。大した予定もないのにしっかりした手帳を買ってさ、だんだん書き続けることがしんどくなって、最後の方はぐだぐだになっちゃったな。結局大事なことしかメモらなくなるんだよ、どうしても僕は。それでもあの手帳は捨てるわけにいかないんだ。ここに書いていることは薄れる記憶をなるべく留めるために。そしていつかこの文章を読んで、僕が生きた軌跡を知ってくれ。

ああ、流れ出る言葉に感情がこもってなくて自分で自分を信じられなくなるな。こうやってどうでもいいこと書いてると何か報われる気がするんだ。この壮大な話は誰にも読まれたくない。でも読んでほしい。その気持ちが半分半分で正直めんどくさい。やっぱり書きたくない。というか書いたら死ぬから。こんな情報社会に垂れ流す言葉は全部虚言だ。そうやって決めつけて僕らは少しだけ大人になったつもりで背伸びする。安心して、僕らはまだ子供だ。ちゃんと。しっかりと。そうして大人になる機会を逃した人だけがいつまでも子供のままでいるんだ。それが良いことか悪いことかなんて誰にも決められないけど、僕は子供でもあり大人でもありたいと思うんだ。

とにかくあの日をさかいに僕はもう。

海の広さと同じくらいの話 (序章)

小説を読むような感覚でこの「海の広さと同じくらいの話」を読んでください。

 

 

最近、大今良時さんの『聲の形』という漫画の2巻目を読んだ。

この漫画は近々映画化されるもので、絶対に観に行くんだ!って意志が揺らがないから、観に行かなくちゃならない。自分のために。なんとしてでも。ミーハーだと思われたら困ると思いつつも、もう手遅れなことを知りながら2巻目を買ったのだ。1巻目はとっくの昔に買っていたのだが、1冊買っておけばどうせ完璧主義の僕が「全部集めなくちゃ!」って思うだろうと、昔の自分が引き金を引いてくれていたわけだ。言い訳だけれど、昔から「良い漫画だ!」とは思っていたんだよ。そんなこんなで買った漫画は家ですぐに読み終わり、案の定物語の世界観に僕はどっぷりと腰をおろした。

(余談だけど、このブログを書くために今一度「大今良時」の漢字が正しいかどうか確認したが、女性だったとこのタイミングで初めて知った。驚いた。)

 

物語の世界観といえば

これまた書籍の話だが、宮原るりさんの『僕らはみんな河合荘』という漫画が好きで集めている。その漫画のヒロイン「河合律 (先輩)」は、読書家で本を読んでいる最中は、その本が面白いものだとその世界観にかなり影響されるのだとか。僕もそれなのだ。痛々しいほどに世界観に影響されてしまうから、読む小説・観る映画をしばらく厳選しつつも絶っていたほどなんだよ。僕はどうしてか女性キャラに自分を重ね合わせることが多い。女性になりたいと願ったことは思い出せる限りではないのだけれど、恋心の対象は女性キャラへ、なりたいキャラもしくは自分に似たキャラもほぼいつも女性キャラなのだ。不思議だよね。

ということで、その河合律先輩のように僕も『聲の形』の漫画の世界観にかなり影響されたということです。

 

 

ネタバレは控えようと思うから、まあ話せる部分だけを話していこうと思うけれど、この漫画『聲の形』は耳の聞こえない少女 (西宮硝子) とガキ大将的存在の少年 (石田将也) との交流を描いた話だ。 (良い本だよ、読んでみてね。もしくは映画観てみてね。) 1巻は読んでもらえれば分かると思うが、読了後の気分のすぐれなさがある。とにかく良い結末ではないんだよ。2巻目もそれほどって感じだ。それでも主人公の少年、石田は昔の過ちをちゃんと後悔することができた。そのシーンで全部フラッシュバックしたんだよ。僕の心の傷。自分で心の傷とか言うの少し変な心地がするんだけれど、表現としては間違いないのだろうと思う。

 

でもそんなことじゃ、ここまで追い詰められない。もう一つか二つ、僕を窮地に追い込む何かがあったんだけど、それは忘れたよ。覚えていたとしても僕の脳みそは親切じゃないから、こういう時に情報を与えてくれない。とにかくさ、もともと大学を卒業したら生きるつもりはなかったんだけど (自殺はしないが生きようとは思わない) 、まだ卒業にいたってない今の時点でもうそろそろ疲れてきちゃったよね。19年生きたんだよ、上出来じゃない?100歳まで生きたとして、5分の1の人生終わらせたんだから。

いい加減嫌気がさすんだよ。自分とか周りとか。地球規模で「あ~もう!」ってうだうだしてる。人類、地球温暖化とか直す気ないだろ。本気で頑張れよ!って月から全人類に言ってやろうと思ってるんだけど、今はその手立てがないんだよな。どうやってみんなに言うかとか考えなくちゃだし、月まで行かなきゃならないのめんどくさいな。

 

とかいうどうでもいいような話は置いといて、僕の心の傷を今から自分でナイフでえぐっていこうと思う。この傷が世間の目に触れた時に僕がまだ生きてりゃ、僕の勝ちだ。そして、その時にもう僕が死んでいたらそれもそれで僕の勝ちだ。

 

序章っていう風に分割して良かった。次が本編ね。本編だけでいくつかありそうだけど。

中性的なあの子と僕の話

ブログを書き始める時はタイトルなんて先に書かない方がいいなって、今思った。またどうでもいいようなことばかり書こうかなって思ったんだけど、一人思い出した友達のことを書くよ。

 

 

僕は恵まれているのか周りに色んなタイプの人間がいる。タイプって性格って意味じゃなくて生き方ね。ゲイだったりレズビアンだったりとにかくそういうセクシュアルマイノリティーの人を何人か知っているし、性同一性障害の女の子とか、障がい者とか精神疾患患者だったり、少し違うけど芸能人として画面の中で生きている友達もいる。その友達の名前を出せば「おお!」ってみんな言うぐらい有名な女優だよ、だから言わないけど。とにかくこういう言い方はどうかと思うけれど、バラエティに富んだ友達ばっかりで飽きない。ひどい表現だな、我ながら。

 

その中で性同一性障害の女の子がいるんだけど、2歳年下でまだ高校生でかわいらしい良い子なんだ。顔も性格もかわいいと思うから、つい何度か「かわいいのに…」ってぼそっと言った事あるんだけど、それを言うといつもかわいい顔をふくれっつらにして「それ言うの禁止ね」って言われる。当たり前だ。ごめん、言う気はいつも無いんだよ。本音がついうっかり漏れちゃうほどに君の前では安心しきってるから。

知ってる人は知ってると思うんだけど、ミスiDってあるじゃん。あのミスiD2017に出てる若杉実森さんこと、「み」さんによく似てる。容姿、口調、性格(?)とか諸々。というかミスiD2017にエントリーした人を適当に見てるときに「あれ君もエントリーしたのかい?」って確認したくらいなんだけど、名前と身長が違うし「ぼくじゃない」って言われたから違うんだけどね。

 

その子もFtXだ。FtXがどういうものなのかは自分で調べて。言葉で説明するのが難しいから。その子に性の不一致のことを教えてもらったのはいつだったか忘れたけれど、割とまだ月日は経ってないはず。後々になって「君なら安心して言えると思ったし、そのまま受け止めてくれると信じてたから全然躊躇せずに言えたよ」って言ってくれたから嬉しかった。打ち明けられるまではもちろん一人の女の子として扱っていたし、恋愛感情は抱いてなかったけど、というか普通にお姫様抱っことか良いことがあったらハグするぐらいの距離感だから、なんというかその時は不思議な感じだった。今では女の子としては見てないかな。だからといって男の子でもない。あの子の一人称が「ぼく」だけど、正直中性的でほんと不思議。でも時々女の子らしさが出る瞬間があるんだよ。一回一緒に遊園地に行ったんだけど、お化け屋敷に入るか入らないかで怖がる姿は完全に女の子だった。あと、悩みがある時とかなんか大事なことがある前に安心するために電話かけてくることがよくあるんだけど、その電話を切る時の「ありがとうね、じゃあね、ばいばい」の言い方が乙女すぎて「…!」っていつも悶絶してる。

 

僕はその子の性別関係のことをとやかく言わないんだけど、その子は「別に何でも聞いてくれていいんだよ?エッチなことでもなんでも…」って上目遣いで言うから、くそ、ずるいな…っていつもなる。もう一度言うけど、僕の2歳年下ね。17歳に遊ばれる僕ってどうなんだっていつも心配になる。安心して、エッチなこととか聞かないよ、あいつ処女だし。そういうことじゃないよね。まあ言わなくてもいいことは言わないし、聞かなくてもいいことは聞かないんだ、僕ら。いつからの付き合いなのかとか、電話を何回したとか、どこに一緒に行って何を経験してきたかとかどうでもいい。心の距離だろ、大事なのは。

性のことを打ち明けられてから、一緒の部屋で着替えるはめになったこともあるし、あいつの部屋に泊まったこともあったな。着替える時は一応気を使って見ないようにしてたんだけど、下着だけのまんまで「あれ、服がない」とか言い出してうろうろするから噴き出した。二人分の布団が無いからって最初僕だけ床に寝させられそうになったのも面白かった。別に寝させてくれるならどこでもよかったけど、「かわいそうだし襲われる心配なんてさらさらしてないよ」ってあの子のベッドで二人で寝た。二人で寝るには狭かったな。二人とも寝相が良くてよかったな、それだけだ、朝起きて思ったこと。ちょっとずれるけど、あの「襲う」とか「犯す」とかってどういう感覚の人間がすることなんだ。そんなことをあの時も考えたかな。

 

 

あの子が僕に言った「手先は器用だけど、生き方は不器用だね」の言葉を時々痛いほど鮮明に思い出す。あの子の地元の夏祭りだったかな、祭りが終わって帰る前にまだ雰囲気が味わいたくて、二人して理由もないのに会場の近くの神社の階段でぼーっとしてた。なんだか図星を突かれてさ、笑って焦りをごまかしながら「なにそれ」って言ったのだけは覚えてる。へえ、僕ってやっぱ生き方が不器用なのか…ってね。

ここまでの話、何の話だよって感じだ。どうでもいいということに磨きがかかったから、ある意味上出来でしょ。オチもないし、言いたいことも何もなかった。思い出した友達の顔や言葉から出てくるものをただ書き綴ったらこうなった。向こうにとって僕はどれぐらいの大切さなのか知らないけれど、僕にとってあの子は大事な友達だ。電話で聞いてあげた悩み話も色々ふまえて、これからも守ってあげなくちゃならないなって思う。ただそれだけの決意表明でした。

ここ最近、それはたった10分ほどの感情の寄せ集め

最近感化された人がいて、その人の口調に近い書き方をしてしまうかもしれません。そして、うっとうしくなるほどの文字と一瞬の感情をただ書き綴ります。そのことは最初に言っておきます。

 

 

ここ最近情緒不安定だから、何がしたいかとか何をするべきかとか、とにかく根本的に生き方を間違えていると思った。そもそも生き方を間違えたのなんて今に始まったことじゃない。完璧主義だし、変な信念深さというか偏屈なところがあるし、嘘つきだろうし、自分という人間を自分自身でも信用していない。ブログを始めて感じたことは、僕の性格というか中身の振れ幅が大きすぎて書きたいことが枠に入りきらないことだ。今こうして書いているのも一時の感情だから、どうせ朝になって読んでみれば嫌気がさすんだろうな。多分あれだね、多重人格。身体はもちろん一つだし、心も一つだと思ってやってきたけど、もしかしたらそうじゃないのかもしれない。そんなことどうだっていい、今が今でよければそれでいいんだ。

 

周りの評価に自分が合わせなければいけない時が多々あってそれが生きづらいのだ。「そんなの自分のやりたいように、自分はこうなんだって生きればいいじゃん」なんて言う人もいるだろうけど、そうできれば今頃こんな僕みたいなひねくれた人間できあがってないよ。周りの評価。正直どう評価されてるのかなんて知らないし、勝手に自分で「こうしなくちゃ」なんて勘違いしているだけなのかもしれないけれど、そうやって自分に何かを課そうとする時点で息苦しいんだよ。この息苦しさと一生付き合っていくんだろうか、そうなれば多分僕は人生をリタイアするだろうな。嘘。リタイアさえ許さない自分がいるからのほほんと生きることも自分で死ぬことも許さない。多分生きていても死んでしまっても自分を責め続けるかもしれない。

 

TwitterでつぶやいておきながらLINE見ないってどういうことよ!」って怒っている人がいた。その人の言い分も分かるし、実際僕も怒ってるときがあった。でも自分でもしてしまう時があるからはっきりとは怒れないけれど。あの時の怒りはやがて悲しさへと変わる。怒っているうちはいいんだよ。だんだん怒っているよりも悲しむ方が楽になるんだ。どうせそういう扱いなんだなって。ネガティブでいると人が寄り付かないけれどポジティブな人には友達が多い、みたいなの鬱の人はどうしたらいいんだ。鬱って大変なんだろうなって、知ってる人が鬱で遠目に見ながら思ったことがあった。どれだけひとごとなんだ。でも実際そんな感じでしょ、大体の人がひとごととして生きていってるよ。それ自体は間違った事じゃないと思う。大体自分以外に大切になる人の存在ってほんのわずかだ。友達の中でもほんの一握りの人。あとは血縁関係のある人とか。好きな人とか。

 

好きな人っていうのはまったくもって面白い。「好きっていうのは無条件に相手を信じられることだ」って何かで読んだような気がしたな。好きって二音節。たったの二音節だし、日本語で見れば二文字だし、どれだけ短い感情表現だよって思った。好きになるってことは理性なんかじゃ解決できない問題だ。不倫とか浮気とかあれも好きになったからそういうことに至るんでしょ。大変だな、人間は。こういう言い方すると語弊があるけれど、ただの動物みたいに本能のままに感情を抜いて子孫を残そうとしていれば楽だっただろうに。人間として生まれてきたことを時々「あぁめんどくさいな」って思うよ。ごめんね、人間として生まれてきたかった生命もたくさんあるだろうに。もらった身体、もらった命は大切に全うする気だから安心してね、無下にはしない。これまでに死んでしまった人の分まで生きるよ。生きていくつもりでいるよ。

 

 

では本題に入ろうか。

そういえば去年だけど友達が死んだよ。「こういう話は軽々しく話すんじゃねえよ」って思われても仕方がないかもしれないけれど、あなたはその友達と僕の何を知っているんですか?って話だ。その友達とは小学校と中学校しか一緒じゃなかったけれど、9年も一緒にいればいろいろあるものだ。お葬式にはもちろんたくさんの友達が来てたよ。平日だったし学校とか休んでまで見送ってくれる友達があれだけいるなんて、あの子も幸せだっただろうな。ごめん、他人が幸せだったかどうかなんて僕に決める権利はないね。とにかくあれだけ見送りに来てくれた友達の中でも、少し違う特別な想いを抱いて僕はあの瞬間を過ごしたよ。今でも引きずってる。正直僕は生き続けなければいけないんだ。大人になれなかったあの子の分も生きなきゃいけないし、あの子にしてしまった過ちを僕は一生かけて背負わなければいけない。誰か聞いてくれよって思うんだけど、実際話してみれば「なんだそんなことか、大したことないじゃん、自分を責めることないと思うし、あの子がずっとそれを気にしてたなんて絶対思えないよ」って言ってくれるだろう。そんなのやめてくれ、僕を善人にしないでおくれ、責めてくれ、泣かせてくれよ。あの子の葬式以来僕はあの子のことを忘れずに生きてきたけれど、あの子のために僕はまだ泣けていないんだ。涙が出ないんだよ。まだ生きてるんじゃないかって時々思うし、過去にしてしまった間違いが多すぎて正当化されたら僕はそれこそ生きていけない。「君のしたことは仕方がなかったんだよ」なんて僕を正当化したり慰めたりしないでくれよ、「君のしたことはひどいね、ダメだね、そういうことしたらその人傷ついちゃうじゃんか。やったらいけないことだったね」ってありのままの僕を見て、ダメなことにはダメと言って僕を責めてくれ。そうした方が僕は少し心の荷がおりる気がするんだよ。たとえ僕の言う「過ち」がたいしたものでなくても。その友達と何があったか、その友達にしてしまった過ちについては個人的なことすぎて書けないけれど、ほんとに誰かに聞いてほしかったんだ。

 

 

ここまで書いて感情が途絶えた。眠たいからとかそういうわけじゃない。その子のことを思い出してすべての感情がそちらに乗り移った。疲れたなとかそろそろ寝なくちゃなとかどうでもよくなるね、こういうこと考えていると。僕のように「生きづらいな」なんて思っている人ってたくさんいるんだろうけど、あいにく周りにはいないんだよな。それが良かったのかどうか。多分思い出したらまだまだ書かなきゃならないことはいっぱいあるんだけど、夜は深まるし文字数は2620字を超えてきたから、このまま書くと小説ができちゃうね。誰も読めなくなるね。読まなくていいよ。書けただけで少し気持ちが楽になった気がするから。

では、お別れの挨拶ではないけど、みんな僕より先に死なないで。あと100年は生きてね。約束ね。

雨上がり アスファルトに 映る空 雲も散れ散れ 雨も良きかな

世間はホワイトデーですが、僕の住む街には雨が降っています。

 

やっぱり「晴れた日より雨降りの日の方が好き」って人は少ないんじゃないかなと思いますね。関係ないですが、前回の記事に書いたこの口調が好きで、この「誰かに話しかけるような書き方」でこれからブログを書いていこうかなと思った次第であります。

 

さあ、そんな雨の日もインドア派(?)の僕は家にじっとしています。雨って基本的にあまり好きじゃないのですが、良い雨もあるなって最近は思います。しとしと降る雨の日、ザーザー降りの日、豪雨と強風の日…

まだ早いですが、台風が近づいて大雨が降ると思い出すのが「台風のノルダ」という映画です。あらすじも内容もここでは書かないことにしますが、面白い作品です。大雨の日に主人公が女の子と出会うところが好きです。僕の住む街にも夏は台風が何度もやってきますが、学校に待機しなさいと言われたことはほとんどありませんでした。小中高、どちらかというと自宅待機が多かったですね。

高校に入ってから気づいたことですが、自宅待機って特別ですよね。どうやら僕は学校が好きみたいで、友達と話したり放課後残ったりするのが好きなようです。そんな僕にとって「自宅待機」っていうのは、休みになった嬉しさと友達に会えない残念感が入り混じって複雑な気分になるものです。僕の住む街は年に一度雪が降って積もるか積もらないか、ぐらいの気候なのですが、高校のある時、雪で電車が止まって途中で帰らされた日がありました。あの日会えた友達は電車通学の数人だけ。会いたい人もたくさんいましたが、仕方なく友達と雪で遊びながら帰りました。

僕は思いっきり降る豪雨の日は、学校が休みになるかもしれないと期待できて好きだったのですが、どうしても中途半端に強い雨が降る日を今でも好きにはなれませんでした。「降るなら降れ。やむならやめ」と思ってしまいます。しとしと降る雨は好きです。晴れの日より少し暗くて、雨の音を聞いていればどことなくセンチメンタルな気分になっちゃいますよね。

 

でも高校の時にある友達がいて、その人のことが好きだったんです。この前も会って話す機会があったのですが、少し緊張してうまく話せなかったです。それを思うと今でも好きなのかもしれないですね。少なくとも友達としてとても尊敬して憧れている人なんです。僕が雨の日を好きになった理由はその人にあるのかなって思います。その人と長く話した日や初めて二人きりで帰った日があって、その日はいつも雨でした。その人と学校で何か面白いこと、楽しいこと、いろいろ話したりした日はほとんど雨の日が多くて、雨が降るとその日のことを思い出せるんです。そのことに気づいたときは「あぁ、雨の日も悪くないな」って思えました。

 

そして僕が雨が好きになるもう一つの理由。それは雨上がりのアスファルトにできた大きな水たまりに、流れる雲や青空が映るその景色がとても綺麗で好きだからです。

五年という月日

今日は3月11日。

今からここに書く、稚拙でまとまりのない読みにくい個人的な文章をお許しください。不快感を感じた方や気分を害された方は読むことをすぐにやめてください。

 

 

あの日から5年が経ちました。5年という文字を見るたびに、日本人はつくづく奇数が好きだなぁって思う。4年や6年より5年の方がどこか重みがあるように感じるのは多分そのせいだと思う。

 

あの日のことを振り返ってみると、僕はまだ中学2年生だったなと思い出せる。時期が時期なだけに授業が早く終わったのかもしれないけれど、部活中のことでした。思い出せば火曜日と金曜日は外練だって決まっていたから、あの日はマラソンコースを走らされていた。もしかしたら自主的に当時のキャプテンが言ったのかもしれないけれど。とにかく走っている途中だった。コース半分をおおよそ過ぎて、友達と「グリコ」という遊びをしながらふざけて走っていたのが懐かしい。僕は参加していなかったけど。その時だったと思う。

大津波警報が発令されました。警戒してください」のような言葉が、どこかから聞こえた。あの時に揺れてないのになぁって思ったことを覚えている。それからとりあえず学校に戻ろうと走る。学校に戻るとすぐに先生達が焦った様子で職員室に入ったり出たり。すぐに顧問が来て「もう今日の練習はいいから、お前らすぐに家に帰れ。まだ残っている奴がいたらそいつらにも帰るよう言ってくれ」と言う。ただ事ではない雰囲気だったけれど、大雨警報が発令されて途中下校になった時ぐらいの気分でした。

家に帰るとお母さんがテレビで生中継を見ていた。もうすでに津波が街を飲み込んでいくところだった。衝撃ってああいう瞬間を言うんですね。唖然とするんですよ、本当に。実際に起こったことだとは思えなかったと言えば、安っぽい感想になるかもしれないけれど、本当にそう思うのだから仕方がない。その日はあまり眠れなかったと思う。

僕の3月11日はそんな感じでした。やっぱり地震が起こってからのことは思い出せるのに、それ以前の朝の様子や昼間の授業の様子はすっかり思い出せないんです。すごいですね。

 

当時のことを話すのはこれくらいにして、今日はいわゆる5年目です。中学2年だった少年は大学2回生に進級しようとしています。5年って長くて短いものですね。今19歳の僕にとっては、自分が生きているうちに自国で起きた大きな震災といえば東日本大震災しかありません。まだ19年しか生きていないんですよ。でももう人生の5分の1は過ぎようとしているわけです。

 

昨日から少し憂鬱でした。今日が近づくと、死んだ友達のことがふと頭によぎる、そんな回数がだんだん増えてきます。東北に友達は数人いるのですが、もちろん何人かは死にました。テレビでもなんでも「死にました」を婉曲させて「亡くなりました」なんて表現するけれど、僕はそんなこと言ってられない。死んだ者は死んだんですよ。お葬式に行ったことがある人は、多分誰かが言っているのを聞いたことがあると思います。「こんな綺麗な顔にしてもらって…」のような言葉を。自然死、いわゆる老衰はそのままで死にます。そして「おくりびと」に綺麗に身なりを整えてもらい、送り出されます。津波でなくなった人って例外もあるけれど、あまり綺麗ではなかったりするんですね。どれだけ化粧を施し身なりを整えても、顔が傷だらけだったり。僕の友達のおばあさんは指が欠けているままだそうです。津波でもみくちゃにされた時にやっぱり色々なものに当たると傷がつくんですね。そしてまだあの土地には誰かの骨や肉が埋まっているかもしれないんです。遺体安置所にはたくさんの棺、もしくはたくさんの遺体が何か布などを被せられて並ぶんです。それなりに消臭させていますが、異様な雰囲気と臭いが立ち込めているんです。死体は死体なんです。生きると死ぬの境目は、ほとんどないのにこれだけも違うものなのかと思います。

 

「5年目ですね、ご冥福をお祈りいたします」などと一部を除いて軽々しく言う人には「津波で水死した死体をあなたはその目で見たことがありますか。目の前で津波に流されていった人が遺体となって遺体安置所に並んだ姿を見たことがありますか。足が不自由なために波にどんどんと足が浸かっていく老人を見たことがありますか。あなたの家はなくなりましたか。家がまるごと流れていくのをその目で見ましたか…」と聞いてみたい。水死体の独特の臭いや水が引いた後の臭い。おじいちゃんやおばあちゃんはもう諦めようって言葉。テレビでどれだけ被災地に足しげく通ったレポーターも、当時そこにいなかっただろうと思う。経験したか、経験していないか。経験している方がいいとか、経験していなくて良かったとかそういうことじゃないんです。生者と死者との境目だけに限らず、経験したことがある人と経験していない人との境目も紙一重なんです。

そして悲しいことにその差は計り知れないほど大きいんです。

 

あの日流されそうになったがなんとか助かった、という友達がいました。その子はTwitterをやっていました。でも3.11という日が来るたびに世間で「今日はあの日から~年です」と報じられ、Twitterでもそのことで軽々しく呟かれたようなご冥福のツイートを見て、憤慨していました。そしてとても心を痛めていました。その子には黙っていて、と言われていたけれど、その子のことをここに書きます。

その子からは何度か電話がかかってきました。「もう忘れてほしいとか忘れてほしくないとかそういうことじゃない。生きているとどうしても辛いことばかりだから、負けるな頑張ろうなんて人は言うけれど、もうやめようかなって思う。生きていくの。疲れた」と電話やメールが何度も来ました。数え切れないほど自殺を考えたそうです。「がんばろう」の言葉も「負けるな」の言葉も非情です。励ましたつもりが逆に苦しめる、なんてことになりたくないから、僕は何も言えませんでした。「自殺だけはしないでほしいな。君にとって死ぬのは一瞬かもしれないけれど、僕はそのことを引きずって生きていかなきゃいけないかもしれないし。でも止めようとは思わない。できればしてほしくはないけど、どうしてもと言うのならば仕方がないのかもしれない」と言って電話を切りました。彼は、親や友達など大事な人を亡くした心の痛み、そして嫌というほど思い出す鮮明な記憶、世間の乾いた言葉からついに自殺しました。

その事実だけはどこか胸に留めておいてほしいかなと思います。本当は最後の電話で「俺が死んでも誰にも言わないで。真相は黙っておいて」と何度も言われていましたが、僕の死んでほしくないという思いを裏切った彼にこれだけは裏切らせてくださいと思っています。もう済んだことだから、死んだら死んだまま。帰ってはこないなと分かっているけど、まだあの家に行ったらひょっこり会えそうな気がする、とも思ったけれど、そもそも家もなかったなと気づく。人が死ぬってこういうことですかね。

 

もうすぐ3000字に到達しようとしています。足りないです。1万字書いても足りないくらいです。でもいざ喋ろうと思うと何も出てこないんだろうなって思います。これを書くのも数日かかって今ここです。1つずつ思い出しながら、思いを確認して整理しながら書いています。

 

少し話は変わりますが、震災にちなんで一つ。「ラジオ」というNHKのテレビドラマを知っていますか。女川さいがいFMの「某ちゃん」というとある女の子を主人公にした話です。某ちゃんは今では一部を除いて非公開にしていますが、昔はブログにいろいろ書き綴っていました。今でも公開されている「帰る場所。」という記事を無断で紹介したいと思います。本人への連絡のつきようがないので、勝手ながら無断ですが、「帰る場所。|おかあさん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました。」という記事です。この記事の言葉にハッとさせられます。本人はあえて詩のような文章にした、なってしまった、のようなことを言っていました。よければドラマ「ラジオ」もご覧ください。ドラマ仕立てで実話を少し編集していますが、僕はあの話が好きです。

 

改めて、震災から5年が経ってもいまだに復興が全く進んでいないことが残念に思えて仕方がありません。これはお金の問題でも総理の問題でもないと思います。復興目指してがんばろうなんて言うのは簡単ですが、実現するには何万人もの人が何年もかけて努力し続けなければいけないのです。時間が経つということが残酷なのは、時間が経てば熱意も冷めるということ、人は時間が経てば忘れるということです。震災直後の1年間は「絆の年」と呼ばれました。少なくともある程度はみんな協力して、復興に向けて各個人のできることをしていたと思います。もちろん今でも何かできるかと模索している人もいます。でもきっと気づいてはいますが、熱意の冷めた人もたくさんいると思います。自分の人生じゃない。知らない人の人生です。悲しいのはそういうことです。そういう考えが浮かんでしまうことが悲しいです。

「3.11という記号にしないでください」と誰かが言っていました。誰かは「忘れてください、それが復興です」と言い、また誰かは「忘れないことが一つの救い」とも言いました。一人一人の3月11日があると思います。

 

僕にはこの思いや感情をまとめることはできません。誰かの言葉を代読することすら恐れ多いことだと思います。友達が流されて、また別の友達は自殺して、その子の家は無くなって、街は死んで…いろいろありました。死んだ人は死んだままで、帰ってはきません。失くしたものは失くしたままですが、その埋め合わせをどこかでできるんじゃないかと思っています。まだ震災は終わっていませんし、復興も完了していません。もしかすると終わることはないのかもしれないです。それに、きっとこれからも別の場所で同じように悲しい出来事が起きることだろうと思います。それでも僕は、死んだ友達の分も生きていこうと思います。最後に締めくくる言葉が思いつかないのは残念ですが、今日は、5年目という節目を迎えた2016年の3月11日は、ここで終わろうと思います。ここまでの長文を読んだ方にありがとうと伝えたいです。あの3月11日まで生きて僕と仲良くしてくれた友達やそのほかの人々に感謝します。僕はまだここで生きていきたいと思います。

終点のない路線

僕は完璧主義者だ。

 

最近知ったことだが、どうやら完璧主義は精神疾患の一つらしい。その通りだと思った。それというのも、完璧主義とは自分が執着してしまったものは、自分の中での完璧を目指さなければ気が済まないからだ。他人に褒められれば、褒められたいがゆえにもっと上を目指そうとする。褒められなければ、このままでは不十分だとより良いものを、と思う。

自分が完璧主義だと気づいたのは高校時代。文化祭での映像の編集を頼まれた僕は、自分の思い描く理想形の作品を完成させようとしていた。途中経過を友達に見せると「すごいね、ありがとう」なんて、まだ終わってもないのに言われたことで「自分の理想が高すぎたのかな」って気づいた。友達が思う「すごい」と僕の考える「すごい」が違いすぎることに時々苦痛を感じる。

中途半端が苦手だ。二位でもいいと思えるものが少なすぎる。一位でなければならないと思い込んでいる。負けず嫌いだということもあって、負けないためには完璧にならなければいけないと自分を追い込みすぎる。「宇宙と空の間を知らない鳥は、高く飛び過ぎてやがて息ができずに死ぬ」の言葉を何かで読んだ。息ができないのなら、息をしなくてもいい身体をもてばいい、なんて考える僕は、多分本当にそのうち身を滅ぼしそうだ。

 

とにかく完璧主義者には終着駅がない。終わらない自分との闘い、なんてかっこいいものではなく、完全な病気なのだ。たまには息をぬくことも大切だ。それだけは忘れないように自分自身に刻み付けていきたい。