zf

海の広さと同じくらいの話 (序章)

小説を読むような感覚でこの「海の広さと同じくらいの話」を読んでください。

 

 

最近、大今良時さんの『聲の形』という漫画の2巻目を読んだ。

この漫画は近々映画化されるもので、絶対に観に行くんだ!って意志が揺らがないから、観に行かなくちゃならない。自分のために。なんとしてでも。ミーハーだと思われたら困ると思いつつも、もう手遅れなことを知りながら2巻目を買ったのだ。1巻目はとっくの昔に買っていたのだが、1冊買っておけばどうせ完璧主義の僕が「全部集めなくちゃ!」って思うだろうと、昔の自分が引き金を引いてくれていたわけだ。言い訳だけれど、昔から「良い漫画だ!」とは思っていたんだよ。そんなこんなで買った漫画は家ですぐに読み終わり、案の定物語の世界観に僕はどっぷりと腰をおろした。

(余談だけど、このブログを書くために今一度「大今良時」の漢字が正しいかどうか確認したが、女性だったとこのタイミングで初めて知った。驚いた。)

 

物語の世界観といえば

これまた書籍の話だが、宮原るりさんの『僕らはみんな河合荘』という漫画が好きで集めている。その漫画のヒロイン「河合律 (先輩)」は、読書家で本を読んでいる最中は、その本が面白いものだとその世界観にかなり影響されるのだとか。僕もそれなのだ。痛々しいほどに世界観に影響されてしまうから、読む小説・観る映画をしばらく厳選しつつも絶っていたほどなんだよ。僕はどうしてか女性キャラに自分を重ね合わせることが多い。女性になりたいと願ったことは思い出せる限りではないのだけれど、恋心の対象は女性キャラへ、なりたいキャラもしくは自分に似たキャラもほぼいつも女性キャラなのだ。不思議だよね。

ということで、その河合律先輩のように僕も『聲の形』の漫画の世界観にかなり影響されたということです。

 

 

ネタバレは控えようと思うから、まあ話せる部分だけを話していこうと思うけれど、この漫画『聲の形』は耳の聞こえない少女 (西宮硝子) とガキ大将的存在の少年 (石田将也) との交流を描いた話だ。 (良い本だよ、読んでみてね。もしくは映画観てみてね。) 1巻は読んでもらえれば分かると思うが、読了後の気分のすぐれなさがある。とにかく良い結末ではないんだよ。2巻目もそれほどって感じだ。それでも主人公の少年、石田は昔の過ちをちゃんと後悔することができた。そのシーンで全部フラッシュバックしたんだよ。僕の心の傷。自分で心の傷とか言うの少し変な心地がするんだけれど、表現としては間違いないのだろうと思う。

 

でもそんなことじゃ、ここまで追い詰められない。もう一つか二つ、僕を窮地に追い込む何かがあったんだけど、それは忘れたよ。覚えていたとしても僕の脳みそは親切じゃないから、こういう時に情報を与えてくれない。とにかくさ、もともと大学を卒業したら生きるつもりはなかったんだけど (自殺はしないが生きようとは思わない) 、まだ卒業にいたってない今の時点でもうそろそろ疲れてきちゃったよね。19年生きたんだよ、上出来じゃない?100歳まで生きたとして、5分の1の人生終わらせたんだから。

いい加減嫌気がさすんだよ。自分とか周りとか。地球規模で「あ~もう!」ってうだうだしてる。人類、地球温暖化とか直す気ないだろ。本気で頑張れよ!って月から全人類に言ってやろうと思ってるんだけど、今はその手立てがないんだよな。どうやってみんなに言うかとか考えなくちゃだし、月まで行かなきゃならないのめんどくさいな。

 

とかいうどうでもいいような話は置いといて、僕の心の傷を今から自分でナイフでえぐっていこうと思う。この傷が世間の目に触れた時に僕がまだ生きてりゃ、僕の勝ちだ。そして、その時にもう僕が死んでいたらそれもそれで僕の勝ちだ。

 

序章っていう風に分割して良かった。次が本編ね。本編だけでいくつかありそうだけど。