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冬と春のはざまにて、ふと思う事

近頃は、いわゆる「三寒四温」などと言う、冬と春の間のような天気が続いている。

 

こういう時期に時々やってくる小春日和の日に、いつも「春はつくづく別れの季節だな」と感じる。

いつでも思い出すのは、卒業式前日ぐらいの教室や友達の姿だ。綺麗になった机の中やロッカーは少し物悲しい。学校を卒業するときに、いつも綺麗になった教室を見て、誇らしさとさみしさが入り混じって泣きそうになる。いつもここに物があふれかえっていて、人もそれだけたくさんいたんだよな。活気づいていた夏の日の教室の姿などとうになく、同じだけの人が存在していたとしても少し静かだ。怖いくらいに。

そういう時にふと卒業式なんてなければいいのにな、と思う。卒業しないでずっとみんなといてたいなって唐突に、ただぼんやりと思う。玄関の桜の装飾、いつもと変わらぬ別れの挨拶、学生服に挿した一輪の花、神様が決めていたかのように晴れる空。全部春だった。春の日の温もりは残酷だと思う。卒業してからも同じような温もりの日は、あの日のことを必ず思い出させては、しゅんとさせる。

 

春という季節は、暖かくて、不思議と落ち着いて、心が和やかになって、僕にとっては一番好きな季節のはずなのに、一番複雑な心境の季節でもある。

よく聞いたり、聞かれたりするどうでもいい質問に「一番好きな季節は何?」というものがある。「春かな」と答えたい気持ちだけはあるのに、いつもすぐに答えが出なかったり迷って考え込んでしまうのは、簡単に「春」と答えることがあの別れの日を軽んじているように感じられて仕方がないからだ。

 

別れがあれば出会いもその分あるわけだけれど、出会えたことの嬉しさは徐々に感じるものであって、別れのように瞬間的に心に重く響くようなものではない。だから、出会いよりも別れが心の中にずっと残っているのかな、と思った。